自由な時間が頭と心の整理には必要である、そう思いながらドバイで飲む、エスプレッソが水で割られたアイスコーヒーは氷が溶けて薄くなったコーヒーのほんの先の未来
海外に行くといつも起こる
日常生活だと、感じていたけれど言語化できなかった自分の心が整理されていくのを。
多分、海外に行くと、日本語が聞こえることによって起きる雑念が生じないのと、次々と来るタスクを片付けていくのに必死な環境から抜け出せているために、いろいろなことを整理する余裕を生み出しているのだとおもう。
2年近く、苦しんでいることについて、ぽつぽつと考えることができた。
自分は、去年になってやっと、社会にはいい人も悪い人もいることを学んだ。
悪い人に苦しめられた。考えなくてもいいのに、一年以上悪い人を理解しようと正面向かって受け止めて深く考えてしまった。とても理解できない悪い人の行動や信条。それでもその人のことを自分なりにわからないといけないと思った。わからないと身の処し方を決められないから。そして、悪い人が反撃する格好の機会をつくってしまった。
この二年間は自分の気持ちが黒くなった。
今まではきれいな水彩絵の具で彩られていた心のキャンバスに、一滴真っ黒な絵具が垂れてじわじわと広がった。
自分の中に初めてできたバグだった。こんなに負の感情が自分の中にあるなんて初めてわかった。
そんな自分をうけとめることを選んだ。心がチクチクもしたけど、少し心が楽になった。
悪い人のおかげで、大切にしたいと思う人たちが明確になった。
大切な人が自分に行ってくれた。
「あなたは事実がどうかが大事でその正当性を良い人にも悪い人にも受けいれてもらおうと思って行動している。悪い人には、何をいっても受け入れてもらうことなどできない、その人はその人の中にその人の正当性があるから。ほとんどの良い人はちゃんとあなたの事実を理解している。だから、悪い人に心を蝕まれてでも、悪い人にあなたの主張を認めさせる必要なんかない」
その通りだと思った。その言葉は本当にありがたかった。
結局、
相手を変えることはできない。
もう相手のためという自己満足はやめる。同時に、
自分は変えられる。
相手の心情や行動を自分の言葉によって変えるなんて、できないのである。でも、自分自身は変えられる。
自分をみた他人がその人の中で自分を変えることができればいい。
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悪い人のおかげで、大切にしたいと思う人を大事にしようと決めた。
だけど、大切にしたい人を傷つけてしまった。
本当に悲しい。本当に申し訳なく思う。でも一度起きたことをなかったことにはできない。
頭で考えていることと自分の身の外に出る言葉や行動が違ってしまうことが往々にしてある。
しかも、自分の言動が自分の意のままに相手に受け取られないことも多分にある。
自分のアウトプットするものは、多かれ少なかれ他人に影響を及ぼすのだ。
だから、自分の行動すべてに自分で責任を持つ必要があるのである。
それは自己であっても他者であっても同じで、常に自己あるいは他者とコミュニケーションを取る、自己すらも他者かしてしまえば、いつでも相手を慮り、対応するのである。
発現をする前に1秒考える。
とても難しい。
自分は最近になっていろんなことを経験している。他人が5年前には経験しているようなことを。
どんなことも遅すぎるなんてことはないなんて嘘だろう。遅すぎた。
でも一生わからずに生きていくことにならなくてよかった。
自分は変えられる。遅すぎたけど、自分を変える。
それが、自分も他人も幸せになっていく道だと私は信じる。
アイスコーヒーの氷もすべて溶けた。未来は現実になった。。。